[読み物①] ”9.11も3.11も 全部、つながっている”。ジョージア州の日々を綴ったある手紙
Shiho Niimi @sviesosdaina/
To Sakiko
(3.11も9.11もBLMや20年のアメリカ大統領選が私にとってなぜ繋がっているのか)その質問に答えるのには3.11だけではなくて、ジョージアにいた高校生の時から今までの20年をなんども行き来しながら説明することになることを始めに伝えておくね。
まず、この曲「ともだちを待っている」の映像の作業途中に東日本大震災が、2011年3月11日に起こったの(以下、3.11)。
そして、そのまま計画停電があったり、放射能が家に入ってくるとか、色んな情報が流れて不安だった。いろんな人のたくさんの悲しみや怒りが溢れてて渦になっていた。
でもそんな時に思い出したんだよね、(当時ジョージア州に留学中に起こった)9.11のこと。ちょうど11日というのも偶然以上のものだった。
いや、9.11のことというより、9.11からイラク戦争が始まった時の(ジョージア州の)友人たちの変化と、学んだことを。
わたしがジョージアにいたのは一年だけで、その後は半年か一年おきに、友人に会いに行っていた。
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ジョージアのことを振り返ると、当時は少し治安が良くない街で過ごしたことに触れないとなの。それは何年も、人に話すことができなかったこと。
50代くらいの女性ひとり暮らしの人がホストマザーでね。
最初はベッドも食事もあったんだけど、1週間くらい経ってからかな?
「あなた日本人なんだから今日から床で寝て」と言われ、その次には「日本人なんだからお米しか食べないわよね、ここにはお米はないから、ご飯はなしよ」と食事も貰えなくなってね。
床で寝てた。ご飯は自分で買ってトランクに鍵をかけて隠して、ホストマザーが居ない時に隠れて食べていた。
「危ないから昼でも一人で外に出ないように」と言われていたんだけど、夜中に「犬の散歩に行ってきて」と外に出されたりして。
夜も、ホストマザーが彼氏に会いにいくと言って朝まで家にいなかったりするのはよくあることで。
そんなある日のこと、家の庭の向こう側にあった駐車場で夜中に銃撃事件があったの。
バンッって音がして、なんだ?と思って窓から覗いちゃったの。
人が一人倒れてた。
そしたら4人くらいいた人たちが一斉にこっちを見て、
そのうちの1人が銃を向けてきて。
わたしはその衝撃で何も音が聞こえてなかったけれど、その人たちは遠くでかすかに鳴り響くパトカーに気付いたからか、いなくなって。そのあと本当にパトカーが来た。
だから、私はいまも無事に生きていられるのだと思う。
そのまま床に座ってね、やっと怖さが実感となって、汗がいっぱいでた。
その後のことは何も覚えてない。
それから数日後に、そのホストマザーはちょっと精神が病んでいる人だったことが発覚して、彼氏と呼んでいた人には家族がいたの。その人も助けてくれて、日本に連絡して、色々手続き踏んでホストチェンジできた。
でも銃撃事件のことは、その時は誰にも言えなかったんだ。5年くらい経ってからかな?人に話せるようになったのは。
ホストチェンジで別の町に引っ越して、とても優しいホストファミリーと巡り会えて、ようやく学校に通い始めたら9.11が起こった。
サイコロジーの授業中で、先生がラジオをつけたの。
みんな一言も喋らずに、ラジオの音にかじりついて聞いている。
でも、わたしはまだアメリカに来たばかりで、ラジオでは何を言っているのか、わからなかった。
その後、学校から家に帰ってテレビで観たんだと思う。
すごくびっくりして、炭疽菌とか大丈夫なのかって、日本から連絡きたりしたな。
でもね、やっぱりわたしはNYから離れたジョージアの小さな町にいて、どこか自分ごとではなかったんだと思う。
その町では日本人なんて全くいなくて、パールハーバーって差別されたりしたよ。
通っていた学校が私立のクリスチャンの学校だったんだけど、白人ばかりだった(つまり、裕福な白人しか通えないほどだった)。
でもね、同じ学年に1人だけ黒人の男の子がいて、彼が言ったの。
「君だけは僕のことニグロって言っていいんだ」。
この瞬間のことは鮮明に覚えている。映像で覚えている。
授業が終わって、それぞれ帰路につく前に、シホって呼び止められて。それまで私たちは一度も話したことがなかったのに、その一言を私に伝えるがためだけに待っていてれたのかな。
彼は私に僕は仲間だよって伝えたかったのかもしれないし、
パールハーバーって呼ばれているのを聞いて声をかけたくなったのかもしれない。
理由は直接聞かなかったけど、そのどれもだと思う。
別れ際、私たちはハイファイブした。
それ以降、私たちは世間話なんかをするようになったんだ。
同時に、どんな気持ちで彼は毎日、学校に来ているんだろうって思った。
そして、この場所では私も彼と同じなんだって思った。
そして大きな変化があったのは彼らが大学に行ってから。