[インタビュー]所持品は自転車とコーヒーだけ。 “僕らはお金から解放されて生きてけるのか”❶

日本人自転車冒険家へのロングインタビューPart1。アメリカ西海岸を縦断する旅の途中、ポートランドで彼に出会ってから数年が経った。それから数年後、彼の冒険哲学は大きな変化を遂げた。

その変化とはどのようにして、なぜ起こったのか。そしてそれは彼の生き様にどのような影響を与えたのか。4話に渡る長編インタビューです。

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ーーーはじめにーーー 

まるでご近所さんが玄関先でお茶でも飲みながらくつろいでいるように、彼はすでにカウンターに座って、すっかり馴染んでいた。

 「(自転車でコーヒーを配達しているという)日本の雑誌を見てジョエル(@Courier Coffee Roasters)に会いに来ました」

そう淡々と伝える彼を一目見て、私はなぜか全く不思議な気持ちにならなかった。そしてざっと事情を聞いた後、当然のように彼にこう言い放っていたのだ。 

「私たち明日、ここ(のコーヒーショップ)で結婚式を挙げるの」

そこに居合わせた両親もひらめいた、という風に言葉を重ねる。

「マサくん、君も結婚式に来たらいいよ」

私たち親子は初対面の旅人を翌日の結婚式に誘っていた。

そして、とてつもなく冷静でカジュアルな口頭の招待状を、彼もまた冷静に、そして快く受け取ってくれた。

2014年1月。仕組まれた不意打ち。偶然と奇跡。そんな言葉を象徴したのが、彼との出会いだった。

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“彼”とは、今回の記事の主役、西川昌徳(以下、マサ)さんである。自転車で世界中を旅する冒険家で、当時は日本からアラスカへ飛びロサンゼルスまで南下する旅の途中だった。

 

冒険家。しかも自転車で世界中を旅している。

そんな肩書きの人に出会ったのもその時が初めてだし、それ以後も私は彼以外、一度も出会ったことがない。

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結婚式以来、彼とは一度再会を果たしたが、以後、数年間はSNS越しにそっと見守っていた。それが、少し前のめりになって気になりだしたのは2018年頃のこと。彼が#dailylifebicyclecoffee というプロジェクトを始めたからだった。

“Free”の意図するものは様々だ。まず、コーヒーのお代は”Free=無料”。対価を払うか払わないか、お金ではないもので払うのか。それら全てに決まりはない。つまり、その全てが”Free =自由”という意味合いもある。お金という価値観からも”Free=自由”になるということであり、彼自身が自分へ科した人生の”実験”でもあった。

 

 

一銭も持たずに、対価も求めずに、ただコーヒーを振舞いながら1年間、日本中、旅をすることで、果たして生活していけるのか。

ものすごく大きな決断したね、という私の言葉に呼応して、マサは振り返る。

「いやあ、初めはめちゃくちゃビビってたけど、笑」。

それでもやらずにはいられない、 “生死”とつながる運命のようなきっかけがあったというのだ。

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安定から真の冒険へ

「(東日本大)震災以来、関係ができた福島の学校を始め、日本各地の学校と海外の旅先を繋いで中継授業をして現地のリアルな体験を伝えたり、講演に呼ばれたり。その謝礼などでどうにか生活費は稼げている。この活動をもっと広げていきたいし、企業にスポンサーにもついてもらって安定した資金が調達できるようにして行きたいと思っているんだよね」

6年前の彼はこんなことを一つの目標にしていた。なのに、なけなしのお金も全て銀行に預け、引き出す術をあえてなくし、無一文で旅に出る。これにはどんな大転換なのか。私はものすごく気になった。

「いやー、かっこ悪いねー、恥ずかしいねー。僕、そんなこと言ってたんだ、笑 」

そう前置きして、マサはその一大転機とも言える、ある事件に至るまでの過程をゆっくりと歩きながら話してくれた。

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このインタビューはマサ氏が四国お遍路の途中、彼の歩みに合わせながら電話越しに行われた。時折、通り過ぎる車の騒音や彼の呼吸のリズムが旅路を通して少なからず伝わって来た数時間だった。

このインタビューはマサ氏が四国お遍路の途中、彼の歩みに合わせながら電話越しに行われた。時折、通り過ぎる車の騒音や彼の呼吸のリズムが旅路を通して少なからず伝わって来た数時間だった。

 “死”の寸前を迎えた異国での旅の始まり

まずひとつは、”旅”や”冒険”が”仕事”になってしまい、予定調和な授業に慣れてしまっていたこと。

「学校の先生たちと事前に打ち合わせをするんだけど、だんだんと僕の心は生気を失っていたんだ。なぜなら打ち合わせをきっちりしたような旅では想定外のことが起こらないから。旅をはじめた当時のような、ぐわーっと胸の底から湧き上がるような熱さとか感動というもの。子どもたちに伝えたいのはそんなハラハラするようなハプニングやドキドキするような瞬間と遭遇した時の僕ならではのリアルな体験だったのに、それがなくなってしまっていた」。

そして「やりたかった」ことが、「やらなくてはいけない」ことになり、期待や結果に「応えなければならない」重圧の方が大きくなっていることに気づいたという。

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二つ目の理由は、追い討ちをかけたような決定打とも言える。

中南米で旅ののっけから強盗に襲われ、ボコボコに殴られ、着ぐるみを剥がされ、全財産を失い、銃とともに目の前に「死」を突きつけられたこと。メキシコ、そしてコスタリカ。あろうことにも2年続けて、旅の始まりに、全財産の喪失と死の寸前を経験したのだった。

「ぼくには予想していた死への向き合い方がなんとなくあったんだよね。例えば余命3ヶ月、って宣告されて、じゃあその3ヶ月で何を残せるか。どんなことを伝えられるか。そんなドラマチックなものとさえ思っていた。全力を尽くしてやり遂げた先に死がある、ってね。でもそれは全くの幻想だって身をもってわかった。

死は誰にでも、いつだって起こりうる。明日にでも死ぬことだって全然、ありうる」

 

この時、ギリギリのところで死をまぬがれ、無一文になった体験を経てもなお、マサは旅を続けることに決めた。なぜなら、予期せぬハプニングに遭遇したときに、どんなことを思い、行動し、出会いや縁が繋がって行くのか。教科書にも、事前の打ち合わせにもない、こんな想定外こそが、彼が冒険を通して子どもたちに伝えたいことだからだ。

死に直面した後の一文無しのメキシコの旅。諸手を挙げて迎え入れてくれる人たちとの出会いに導かれた。

死に直面した後の一文無しのメキシコの旅。諸手を挙げて迎え入れてくれる人たちとの出会いに導かれた。

 

SNSで強盗にあったことの顛末を報告すると、それを見た日本とメキシコの知り合いたちが拡散し、数珠繋ぎになって旅は全く予想もしていなかった出会いをどんどん引き寄せては結んで行った。お金がなくたって、言葉や文化が違ったって、そんなの御構い無しで喜んで迎え入れてくれる人たちがいた。そのご縁や、優しさ、共に過ごした時間はどんなお金を積んでも払えないほどの豊かさであることを体感した。

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「それまで僕は頑張って当たり前。必死になって生きなくてはいけない、みたいな概念があったんだけど、そういうのはもうどうでも良くなって。

ただその瞬間、瞬間、自分に納得すること。今日は今日とてよしとしよう、と思えること。その連続で、死ぬ瞬間にああよかった、と思えればいいや、と変わったんです。そしたら人生に目標なんてなくなって、ものすごく楽に生きられるようになった」

 

Part2に続きます。


PROFILE

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西川昌徳

自転車冒険家。大学卒業後から自転車での旅をはじめ、現在、37カ国以上、97,200キロメートルを完走。

2018年からは#dairyFreebicyclecoffeeを始動、フリーコーヒーを振舞いながら冒険をするスタイルに。19年からは同プロジェクトで韓国、香港にも渡る。

また講演、海外からの中継授業、子どもたちとの自転車の旅などを行うほか、世界の路上からリアルな人々の思いや状況を伝えている。

https://www.earthride.jp

IG @earthride.jp

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